Vol.14 心のバリアフリー with いとうみきさん

今回は、ラジオでお話したら絶対有意義な回になるはず!とお呼びした、みきちゃんです。
みきちゃんはいつもニコニコしていて、車椅子に乗っているという特徴があります。
障害のこと、多様性や教育のこと、などなど、とっても有意義な回になりました。

ちか

本日のゲストは、みきちゃんです!
ありがとう〜来てくれて。

みき

こちらこそ!呼んでいただきありがとうございます。

ちか

みきちゃん、自己紹介をお願いできますか?簡単でもいいよ。

みき

普段はイラストレーターと細々ともの作り、ブローチとかハンコとかちっちゃいものを作って生活してます。

ちょっと話して、すごく有意義な回になると思った

ちか

今日私がお願いして、ゲストに来てほしいって言ったのは1ヶ月ぐらい前だっけ。
ReBuilding Center JAPANっていう場所が長野県諏訪市にあるんですけど、みきちゃんはそこで週に何回かお仕事をしてるのかな?

みき

そうです。今は週3回とか仕事をしてます。

ちか

私がそこでカレーを食べてて、みきちゃんとちょっと話すと「わ、面白い!」と思ってもっと話したいっていうか、この話ラジオで話してくれたらすごく有意義な回になるかもと思って。

みきちゃんと知り合ったきっかけは、私の娘がみきちゃんと元々お友達で、こういう子がいるんだよっていうのは私が聞いていて、なんとなく知ってたのね、みきちゃんのこと。

みきちゃんは私の印象で、車椅子にいつも乗っていて、ニコニコ笑ってて可愛い子だなと思っていて。
で、ある日だんだんリビセンで働くようになって、リビルディングセンタージャパンのことをみんなリビセンって呼んでるんですけど、私がお店に行った時に、みんなでみきちゃんの車椅子をパッと押してくれたりとか、そういう光景を見て「あ、彼女がみきちゃんなんだ」って娘の話と一致してお話をしたのが数年前じゃないかな?

みき

うん、そうそうそう、本当にそんな感じです。

ちか

リビセンの中でもいっぱいみきちゃんの絵があって、あの案内っていうの?サイン?

みき

うん、看板みたいなね。

ちか

ここに何が売ってますよとかっていうのがあって。
あれが週に1回出勤しての主なお仕事なの?

みき

あとはリビセンが、例えば古いお家から持ってくるものを引き取るっていうことをレスキューって呼ぶんですけど、そのレスキューしてきた中にマラソンのゼッケンがすごい大量にあって、それを袋にして縫うっていうお仕事をさせてもらったり、創作以外のことも結構任せてもらっています。

ちか

そうなんだ〜。大事なお仕事だね。

みき

ほんと、嬉しいです。

ちか

そして、リビセンがまた素敵な場所だよね。

みき

うん、本当に素敵な場所で、信頼を寄せれるっていうか、自分のことをすごく大事に考えてくれるから、私も大事にしたいなって思います。

ちか

いや〜、いい場所だなって思って。

みきちゃんはなぜ車椅子に乗ってるの?

ちか

何から話したらいいんだろうね。
まず、私ちょっと質問してもいい?

みき

うん、いいですいいです。

ちか

まず単純に、みきちゃんはなぜ車椅子に乗ってるの?

みき

私は、10年前に解離性障害転換性障害っていう病気になって、それは同じカテゴリーの病気なんですけど、精神の病気なんです。
精神の病気なんだけれども、脳からストレスによって手足に信号がいかなくなってしまうっていう病気で、運動機能障害っていう障害が出てしまって、それで今は車椅子に乗ったり杖を使って歩いたりしないとで、それがちょっとどんどん年々ひどくなっていく状況になってしまっているので、リハビリをしたりとかしながら生活をしてます。

ちか

なるほど。
今日、数時間みきちゃんと一緒にさせてもらって初めての体験を、例えば私が車椅子を積んだり、みきちゃんと一緒に歩いたりとか、みきちゃんの普段生活している速度を感じるとかも初体験だったし、すごい貴重な体験をしたなって午前中思って。

みき

あ〜嬉しい。

ちか

ありがとう。よくぞこんな山奥まで来てくださった!
そして、疲れたでしょう?

みき

でも山の中に車椅子とかだと来る機会がそんなになくて、だから私にとってもとてもいい体験です。

ちか

ほんと?
あの車椅子を全額自己負担で購入してるって聞いてびっくりしたの!

みき

私はあくまで精神障害なので。
自己負担っていうのは車椅子を買うのに、例えば身体障害者手帳があれば国から9割お金が出て1割負担ですけれども、あくまで私は精神障害者なので。
身体障害者手帳を書いてもらうのに、15条指定っていう国から指定された科のお医者さんしか書けない診断書があって、その15条指定に精神科は含まれていないっていうことで、精神科の診断書では身体障害者手帳はおりませんということで。

ちか

こんなに必要なのにね。

みき

こんなに必要だけれども、歩行器とかもレンタルしてもそれも全額自己負担だし、だから本当に必要でもお金かかっちゃうから借りれないとか。
その上に私の病気って、障害者年金も受給できないんですよ。
病名でそれはもう決まっていて、解離性転換性障害っていう病気は国の決まりというか、どんだけ重くても病名で年金を受給できないっていう、そういう決まりがあって。
だからもう結構生活も切り詰め切り詰めやっていく中で、車椅子を購入してっていう感じで、この杖とかも全部。

ちか

そうなんだ。
みきちゃんにそういうお話伺うまで、全く私は分からなかったです。

みき

そうね、多分みんな知らないことだと思うし、そもそも私の解離性転換性障害っていうのが、医療従事者も知らない人がいるぐらい。

ちか

珍しい?

みき

珍しいというか、ここまで慢性的になるのは珍しいです。
ここまで慢性的になっちゃう人は珍しいし、発症率としては1%とかすごく少ないんだけれども、実際に「私、その障害です」って言えない人もいるから、実際の発症率についてはまだ分かってないって言われてます。

ちか

癲癇(てんかん)とかっていうと、発作があったりもするの?

みき

私の病気の転換性障害の「てんかん」は、転ぶに換気のかんで「転換」です。

ちか

あ、また違うんだ。

みき

また違って、でもちょっと似たような症状とか発作はやっぱ出ちゃう。
無意識に疲れとかストレスとかが溜まって、体が痙攣しちゃったり過呼吸になっちゃったりしちゃう。

ちか

そっか。

多様性とかインクルーシブってなんだろう

ちか

私がみきちゃんと話す限り、全然病気を感じない。
まだそんなにいっぱい時間を過ごしたことがないからあれだけど、なかなか側(はた)から見えにくいところもあるよね。
車椅子に乗ってたら車椅子が必要な方なんだとかは思うけれども、そこまでいろんなものがみきちゃんの中で起こってるっていうのは、普通に会話してるとなかなか想像ができないかも。

みき

そうだと思う。

ちか

普通に楽しく、ただおしゃべりができちゃうから。

みき

だから車椅子に乗っていると、人の介助とか支援とか手助けを得られるけれど、車椅子から降りた瞬間、私は普通の人になってしまうので、そこがすごくもどかしいところで、だからって乗ってるわけじゃもちろんないんですけど。

私が多様性とかインクルーシブみたいなものってなんだろうって考え始めたそのきっかけが、自分が車椅子に乗り始めた時に、私って歩ける時と歩けない時があるから、例えば車椅子から一時的に立つこともできるわけだし、杖で車椅子から立って歩くこともできる。
そういう時に結構ジロジロ見られることがあって、「あの人、車椅子なのに立って歩いてる」とか「立てるなら車椅子使わない方がいいんじゃない」とかいう、そういう人からの目がやっぱりすごく気になって。

内閣府の調査でも「内部障害で車椅子に乗っているから、そういうことを分かって」って健常者に伝えたいっていう人は、すごく多いみたいだね。

ちか

へー!!!

みき

だけど私の場合は100m歩けなかったりやっぱ転倒の可能性があるとか、膝から下にほとんど左足は特に力が入らないんだけども、車椅子から立った瞬間に、健康な人と同じ水準で生活するように見られるっていうのがすごく嫌だって思って。
どういう気持ちでその人たちが見ているかは分からないけれど、見られることがすごく嫌だった。
それがやっぱり始まりだったんです。

車椅子に乗ることは、目が悪い人が眼鏡をかけるのと同じ

ちか

さっきちょっと車の中でお話して、やっぱり車椅子を見たことがない子の、子供への多い時の反応が「ほら指差さないの!」とか、親がそこに会話を持っていこうとしないこととかが、 すごく嫌な世界を生んでるんじゃないかなっていうのは感じてて。
子供の方が純粋に「それなーに?」とか聞く子とかいる?

みき

うん。 私、結構ものづくりで小学校に先生として行くことがあるんですけど(みきちゃんは先生もしています)、「先生、なんで車椅子なの?」とかやっぱ聞いてくる子はいて、そういう時に大人の方がヒヤッとしちゃう、ヒヤッとする顔をしてるので、「あ、またヒヤっとしてるな」って分かるんですけど。

そういう時に私はどうやって伝えるかっていうと、「私が車椅子に乗っているのは、目が悪い人が眼鏡をかけてるのと全く同じことなんです」って。

ちか

おお〜、すごいいい例えだね。

みき

だから(道具として)必要だから使っているんであって、「別にこういう人がいても全然不思議なことじゃないんだよ」っていうことを必ず伝えるように、そう言われた時は伝えるようにしてて。
やっぱ子供ってすごく柔軟だから、初めて見たものとか「これなんだろう?」とか「不思議だな」とか、もしかしたら車椅子見てかっこいいって思ってるかもしれないの。

ちか

思う子多い!
あと、男の子は車輪が好きなんだよね。車とかが好きで。

みき

きっとね。

特別級とか普通級とか、大人が決めることじゃない

みき

私は実際子供たちに見られた時に嫌な気持ちにはならなくて、逆に大人たちが「そんなこと聞いちゃダメ」とかヒヤヒヤしてるのを見る方が辛かった。

ちか

そうだね。
そういうことを区別しない世の中であってほしいっていうのが、最近思っていることの1つでもあって。
それをどんな風に、柔軟な子供たちに伝える方法があるのかな?と思ってて。
だからミキちゃんみたいな人が小学校に行って子供と話すとか、そういう機会が増えるにはどうしたらいいんだろうとか、学校が呼んでくれたらいいのかな?

みき

もう本当に、ものづくりとかみんなでできることを通して楽しみながら、車椅子の人も結構楽しく生活してるんだなっていうことを、もちろん大変なこともあるけど、車椅子の人もそれなりに頑張って1人の人として生活してるんだなっていうことが、まず周りの大人たちが分からないと子供たちにも伝わらないっていう風に思ってて。

それは教育現場でもすごく言えることだと思ってて、例えば障害を持った子が支援級に入るか普通級に入るかっていうのが、私よくSNSとかでもそういうの見るんですけど。
いろんな人がいるしいていいんだよっていうことを、小学校とかできるだけちっちゃい頃から子供たちに知らせていけたらいいのかなって。
障害を持った子ってそういうことを考えさせてくれるきっかけになるから。
もう本当にインクルーシブ教育って、誰のためのインクルーシブ教育なの?みたいな、ね。

障害の子にフォーカスを当てたインクルーシブ教育なのか、普通級の子たちにフォーカスを当てたインクルーシブ教育なのかみたいなところは、大人たちが考えていかなきゃいけない。

ちか

まさにそこもすごい大事な子供を持つ親としての課題でもあって、私の息子が通っている小学校ではちょっと特別学級みたいに分けるんだよね。
私は、すごくそれはしない方がいいって思ってる意見なの。

みんなどんな子も一緒にいるべきだと思っていて、でもそういう話をいろんなお母さんとしてると、子供さんが特別枠にいる方のお母さんの意見としては、そっちの方が親としては安心なんだって。
「他の子に迷惑をかけない」とか。。。
でも、いやいや(違う)と私は思っていて、別に喧嘩で討論してるわけじゃないんだけど、どう思う?っていうお話をよくするんだけれども。

特別じゃないって 分けることがまずちょっと、それが社会とかおっきくなってくると、社会の中で分けるっていう構造もどうかと思っていて。
そういういろんな子がいる中で、その中で自分の役割ってなんだろう?って考えたり、その子がゆっくりで困ってた時に、(手助けする)自分の手が必要かとか必要じゃないかとか、 練習になると思うんだよね。
社会に出て、ずっと分離されて大人になっちゃうと、大人になっても手助けの方法が分からなかったり、いらない時もあるしいる時もあるし、声のかけ方だったり、別に全然特別じゃないことだから。

それをちっちゃい頃から区別しているっていう方が、大人になって問題じゃないかな?って 思うの。
特別学級に行ってる子っていうよりも、普通クラスって言われてる子の方に問題が出てくるんじゃないかなと思っていて。
時と場合によっては分ける必要もあるのかもしれないけど、大勢のところに入れない子のための居場所みたいな形で。

でも意外となんか方法ってあるんじゃないかなって、くっきり分けなくてもいいんじゃないかなっていうのは思うんだけど。
やっぱり賛否両論あって、勉強をどんどん進めたい子の足手まといになるみたいなこと言う方もいるし、でもなんかそうじゃないような気がするんだよな〜と思って、彼らから学ぶことって本当に多いから。

みき

子供たちは分かってるんですよ、もう全部。
自分たちがどうしたいかっていうのは、子供たちは大人が思ってる以上に全部もう自分たちの意志があって分かっていて。
大人が「子供ってきっとこう思ってる」って決めつけなくても、子供にはちゃんと「この子と学びたい」とか「この子と一緒に過ごしたい」とか、それは大人が決めることじゃないと思うって私は考えていて、子供が決めていいと思うんですよ。

大人が普通級に入れるか特別級に入れるかではなくて、この子とみんなが関わりたいのかどうなのかっていうのは子供が決めることであって、大人が結局決めることではないと思っていて。
子供がいろんな考えの人がいるって学んでいく中で、大人が色々決めつけてしまうと、子供のその一緒に学びたいっていう意思もなくなってしまうし、うまく関わらせようとするとやっぱりうまくいかないから。

例えば普通級に入れることに不安があるとしたら、 そのお子さんにはどんな支援が必要かとか、どんな障害があるよっていうのを子供たちにちゃんと伝えれば、子供たちって分かるんですよ、ちゃんと。
ちゃんと分かるから、その上でじゃあ子供たちがどうしたい?一緒に過ごしたいかっていうのを、子供たちが決められるのが理想かなって、私は本当に思っていて。

分かることって、すごく必要なことだと思う

みき

私は昔、実は障害児の子を超いじめてた子供だったんですけど、ほんとにいじめっ子だったんです、私、実は。
なんでいじめっ子だったかって言うと、その子にどう関わっていいのか分からなかったから だと、私はその時の記憶をたどって思ってて。
その男の子が1人いてその子にすごく冷たく当たってて、すごく分かりやすいいじめっ子だったんだけれども。
別の女の子は、みんなの前で喋れないっていう障害だったけど「喋れないけれど、こういう風にしたら意思疎通ができますよ」って先生に教えてもらったから、その子とはすごく仲良くできたの。

子供ってちゃんと分かってるから、ちゃんとその子とのコミュニケーションの取り方を伝えればうまくやるものなの、意外と。
大人がきっとそんなうまくできないなんて思ってても、子供たちって信じてればちゃんとうまく子供同士でコミュニケーションとって、その術さえ知っていれば。
隠すとかがいちばん良くないなって。

子供たちにその子の障害とか病気のことを隠したり、ちゃんと伝えないっていうことが、その普通級の子供たちにとっても、1人の人としてその普通級の子供たちを尊重できてないことになるし、きっと分からないだろうって。
でもちゃんと分かってるから、ぜひ伝えてほしいなっていう風に私は思いますね。

ちか

ミキちゃんは、親御さんから自分の病気について小さい頃は説明があったの?

みき

私は実は後天性の障害なので、ただ病名を知ったのは病気を発症してから5年後とかかな。
5年後にようやく自分の病気、病名について知ったの。
だけれどもっと早く知りたかった!と思って。
もっと早く知れたら、自分への対策とか自分の労わり方とか、自分への接し方みたいなのも対策を講じられたから、もっと早く知りたかったと思って。

ちか

分からないって、1番辛いよね。

みき

辛い!本当に辛くて。

ちか

周りもどうしたらいいか分からないっていうのも辛いし、なんでこうなんだろうっていうことも、やっぱ認識とか理解って、第1歩のほんとに大事なところだよね。

みき

子供も大人も分かってればできたのにっていうことがたくさんあると思うので、それって仕事とかも同じで。
やっぱり人間関係も同じことで、相手が障害があってもなくても、相手を思いやる気持ちって相手を分からないと歩み寄ることもできないから、お互いに。
だから、分かることってすごく必要なことだと思う。

ちか

なかなか他人のことって、自分のこともそうだけど、分かるとか理解するとか理解しようとするっていう、その1つ1つの段階ってものすごく時間とか使うしね。
でも、その理解があるだけで行動が全然変わってくるし、声をかける言葉とかも。

みき

そう、分かるために接点を作るっていうことも、すごく大事なことだと思って。
私、この間そういうシンポジウムに出てきたんですけど、障害とか健常とか、男の人女の人とか、ジェンダーの平等みたいな話も、結局その接点がないと分からない、相手のことって。

例えば、ちかちゃんとこう話しているけど、ちかちゃんのことを初めは何も分からなかったし、ちかちゃんもきっと私のことで分からないことがまだたくさんあると思う。
お互いにまだたくさんあると思うけど、でも分かるから、お互いにもっと理解しようとか歩み寄れる部分がたくさんあると思って。

でもその接点を作るためには、例えばその障害を持つ人と健常と言われる人たちが接点を持つには、障害を持つ人がもっと障害をオープンにできる環境が必要だと思う。

ちか

それ、ほんとに必要だよね。

「困ってま〜す!」って言える環境作り

みき

男の人でもない女の人でもないと言われる人たちも、自分の性をちゃんとオープンにできるとか、みんなが自分の困り事を「今困ってま〜す!」って言える環境作りって、すごく必要だと思っていて。
さっきの話じゃないけど、ちっちゃい頃からそういう雰囲気の中で育っていけば、自分の困り事をいつでも「困ってるよ〜」って、ヘルプを出せるような大人になっていくんじゃないかなっていう風に思う。

ちか

よく耳にするのがお母さん同士で話すときに、自分の子供に重度の障害がある場合とかは、特に上の子は健常者で、例えば下の子が重度の障害があってお話もできないぐらいとかの場合、やっぱりどうしても外に出る機会が少ない。

お兄ちゃんの、例えばサッカーの試合に連れて行きたいんだけどそれも大変だしとか、どっちかに合わせるってなってくるっていうか、そういう悩みはほんとによく聞いて。

今でこそまだオープンになってきたけど、 本当に私たちのちいちゃい頃とかって、ちょっと親が隠してるようなところも結構あったっていう話を、本当によく耳にするんだけど、やっぱり周りの理解がないと出にくいし出る方が疲れるし、でも本当は出てもうちょっと風を入れることってものすごく必要だったりして。
そういう場所とか出た時のみんなの対応とかの理解とか、全然声をかけていいんだよっていうこととかを、広めないといけないなっていうのを思ってて。

日本人って、手助けする最下位ランクインなんだよね、世界で。
それって日本人の良くも悪くも遠慮みたいなところもあるし、逆に聞くことが失礼っていう考え方の人が多いって言うけど、もうそういうこと言ってる場合じゃないっていうか。
海外とか行って子供連れて行くと、みんな普通になんでも手伝ってくれるから、荷物持つとか。
で、バイバイ〜みたいな感じだし、わざわざ階段上ったのに降りてスーツケース運んでくれて、じゃね!みたいな、ほんとに徹底してるじゃない。
日本人って、目の前に妊婦さんいてもほんとに譲らなくて、もうイラー!っとする。

みき

きっと心の余裕だろうなって私はすごく思って。
例えばインドとかでは、迷惑をかけることはすごく悪いことじゃないから、あなたも誰かの迷惑を許してあげなさいっていう教えがあるんだけれども、それが日本で100%通用するかっていうと、今の段階では無理な話。

っていうのは、日本はとにかく生産性の国だから。
国がすごく裕福な国ではないじゃないですか。
その中で国を発展させていかなきゃいけなくて、そのために人々が働いてこの国はすごく仕事社会の国なので、その中で生活弱者と呼ばれる障害を持つ人やお年寄りとか子育て世代とか、そういう人たちに与えられる心の余裕とか隙間とかはどれだけあるのだろうかっていう、そういう話になってくるんですよね。
生産性がないからちょっとお邪魔な存在っていう風にどうしてもなってしまうのが、日本の悪いところで。

ちか

ほんとに、悪いよね。

みき

そう、ほんっとに悪いところで。

「合理的配慮」って何なの?

みき

例えば、4月から障害者に対する「合理的配慮」っていうのが義務化されるんですけど、国が「合理的配慮してくださいね〜」って言ってポーンと投げ出したとして、急に言われても…ってみんななっちゃうから、合理的配慮ってなんなんだろうって1人1人が考えなきゃいけなくて。

ちか

合理的配慮って何なの?

みき

合理的配慮」って、条例というか法律なのかな。
義務化されるんですよ、今度。

ちか

でも、そうしないとやれないとかもおかしいよね。

みき

そう、そんなことをわざわざ大声上げてまで言わないと、みんなが意識が変わらないっていうのもどうかと思うし。

ちか

残念な感じだよね。

みき

ほんとに、なんかもっと自然にナチュラルに。

ちか

ね、ルールとかじゃなくて自然にできてほしい。

みき

自然にナチュラルにできてほしいけど、みんなにその分の心の余裕がないっていうことがそもそもの問題だと思ってて。

ちか

いや、やばいね、合理的配慮という名の元にやられてもって感じだよね。

みき

義務感なの?多様性って義務感なの?みたいな。
じゃあ行政とかが合理的配慮しようって言って、みんなの心って大して変わらないと思ってて。
だって急にそんなことポンって言われても、180度考えが変わるわけじゃないから。

私は、車椅子の私の存在とかっていうことで、みんなの意識を地道に地道に変えていくことで、国が品種改良するよりも土壌を変えていく方がよっぽどいい作物ができると思ってて。
当事者ができることもあるから、そういう風に。
だから行政には障害を持つ人の声を集めて、障害がある人に向けた制度をもっと充実させてほしいとか、健常者に向けて意識変えましょうって言うんじゃなくて、もっとすることあるでしょうって私はちょっと思っちゃいますね。

ちか

もう全然、みきちゃんが本当に小学校に例えば行ってお話する方が、根本とかが伝わる気がする。

みき

そう、実際に見ないと分からない、触れないと分からないっていうこともあるし。

ちか

そういうのを国がちゃんとお仕事として、いろんな人が先生になるとかそういうのやったらいいのに。
そしたら職業も生まれるし、仕事としてもニーズがあるし…。

やだな〜、ほんとに、そうなんだ。。。

みき

うん、ほんとにね、そうなの。

ちか

悪くはないけど、そういう法案が通ってちゃんと施行されるっていうことは悪いことじゃないけど、なんか根本的にちょっとおかしいよね。

みき

そう、うわべだけかな〜って思ってしまって。
結局、国をまるっと変えることは無理でも、1人1人が1人1人に気持ちとか思いを馳せたりとか、知ろうっていう気持ちを持つことがまず大事だから。

ちか

うんうん、それ大事だよね。

みき

国がじゃあやりましょうって言ってしょうがないからやるか、とかじゃなくてもっとみんなに積極的に、こういう人もいるからこういう場合はどうしたらいいんだろうとか、ああいう人はどういうことで困ってるんだろうとか。
そういうことでもっとみんながみんなに思いを馳せられたら、思いやりを持ったりその人の立場に立ったり。
余裕がないとなかなかできないことではあるけれど。

ちか

でも本当にそれって基本的なことで。

あと例えば、さっきもおっしゃってたみたいに、車椅子に乗ってるからこの人助けが必要っていうのは、分かりやすいマークになるじゃない。
でも、世の中ってそういうマークも見えない人も多いじゃない。
手切ってたら血が出てたら止血しましょうってもちろんなるけど、ビジュアル的に、でも 心に傷があったりとか、外傷が何にもない場合は本当に気付かないから、さらに悪化させたりすることも本当に結構多くて。

だからやっぱり、病気、病気じゃないっていう以前に、その人自身を大事にする、自分を大事にする、自分以外の人も自分と同じぐらい祝福する。
もう基本的にそこから教育っていうか、変えていかないと結構まずいんじゃないかなっていうのは、危機感っていう感じ。

みき

そうね、今の大人たちって割と関心はあるけれど、ちょっと論点がずれてるみたいな感じの人もすごく多い気がしてて。

ちか

ドキっ、私もそうだったりして。
でも本当に聞いてこうやって調べないと、全然ずれた感覚の時とかやっぱあるんですよ。

心のバリアフリーがあれば

みき

例えば障害の明記はどうする?みたいなの、障害者としたら超どうでも良くて、そんなことは。
障害という、障害者という概念がそもそも嫌!みたいな。
でも健常の人たちは「いや、障害者の害はひらがなにしなきゃいけない」とか「漢字にしなきゃいけない」「いや、どうするどうする?」「障害っていうその概念、書き方がいけない」みたいなことをやんややんや言ってるけれども、障害者当事者からしたら結構どうでも良くて、そんなことは。

もう障害者とか健常者とか、そういう概念がもういらないんだよなって私は思ってて。
障害は個性とか言ってくれる方もいるけれど、障害は個性ではないってすごく思ってて、当事者として。
励まして言ってくれる人もいるんだけれども、障害って例えば私が発作を起こしてしまうとかすごく苦しい場面を、個性で終わらせてしまうっていうのはすごく辛いことなんだよね。
あぁ、じゃあこれも個性で終わってしまうんだって。

例えば、もう本当に大変な病気の人は個性って言われないのに、なんで私の病気だけは個性って言われてしまうんだろうって、障害とか車椅子に乗っていることは個性って言われてしまうんだろうって、私はすごく思っていて。

だから最近、当事者仲間と話してたのは「個性」じゃなくて「特徴」だよねっていう話になって。
個性っていうといい方にしかイメージできないし、でも特徴だったら苦手なこととか得意なこととか、悪い方にも捉えられるから。
当事者の人が私の障害は個性なんですっていう分にはいいけど、自分じゃなくて周りの人たちが「あなたの病気とか障害は個性だよ」っていうのは、ちょっとその人にとっては辛かったりもするのかなって思ったり。
だから健常と呼ばれる人たちが、これは障害を持つ人たちにとっていいことなんだって思ってることも、障害を持つ人にとったら実はそうでもなかったとかすることもあって。
でもそういうのもやっぱり、心のバリアフリーだなって。
見えるバリアフリーだけじゃなくて、スロープとかだけじゃなくて、心のバリアフリーっていうのを持つことも、すごく大事なことだなっていう風に思います。

ちか

なるほど。

みき

この間、私あるライブハウスのイベントに行ったんだけれども、そのライブハウスが地下だったの。
地下会場みたいなライブハウスで、でも行きたかったの。
行きたくて、いやどうしよう、でも地下だし階段10段もあるよと思って、どうしよう、車椅子ではいけないし、今日はちょっと歩くのしんどいなと思って。

そのイベントがある古着屋さんの主催のイベントで、知人だったんだけれども、その知人のとこ行って「いや、ちょっと今日のイベント行きたいんだよね、でも車椅子だからさ」って言ったら「あ、じゃあちょっと電話するよ」とか言って仲間に電話してくれて「手伝ってくれるから行きな」とか言ってくれて。
行ったらなんとそこで 5人ぐらい屈強な男の人たちが待ち構えていてくれて、みんなで降ろしてくれたっていうか手伝ってくれて、車椅子も降ろしてくれて、入ったら中はいろんなコードのカバーとかちょっと段があったりとか して、動きづらいんだけれどもみんなが手伝ってくれるから。

例えば、バーカウンターのすごいイケイケなお兄さんが「ウーロン茶ここに置いた方が取りやすいよね」とか言って手伝ってくれたり。
だから、そこにバリアフリーがなくても、心のバリアフリーがあれば。

ちか

わ〜ほんまや〜〜〜!!!

みき

逆にその付近のスロープを使って会場まで行ったんだけど、そのスロープがめちゃめちゃ急で全然登れないの。
何度もトライしても全然登れないの。
それってバリアフリーがあるのに使えないバリアフリーで、だったら心のバリアフリーの方がよっぽど私たちのためになってるじゃないって、その日にすごく実感して。

だからリビセンのバリアフリーも、みんなの心のバリアフリーがあったからできたバリアフリーだと思っていて。
みんなのそういう私に対する愛とか「みきちゃん困ってるから、みきちゃんだけじゃなくていろんな人をウェルカムするためにも、ここをバリアフリーにしよう」っていう心のバリアフリーがあったからこそできたバリアフリーだと思ってて。
心のバリアフリーが、障害を持った人と接するためには、もうそこがスタートだと思う。

天才を育てましょう

ちか

あと、池上英子先生っていう大学の先生がお話されてたの今思い出したんだけど、社会にとってバリアフリーにすることで、最初は車椅子の方だったはずなんだけれども、結局スーツケースをゴロゴロってできたり、ベビーカーを押すのに便利になったりとか、意外と視点をそこに置くことによって社会にすごく有益になることが、社会学的にもあるみたいな話をしていて、それは面白い話だなと思って。
意外と本来意図してたところではないところで、ものすごく有益なことが起こりうるからこそ、そういう視点がそういう意味でも大事って言ってた。

みき

ほんとね〜。

ちか

あと、ちょっと人と違う人、江戸時代とか結構多かったんだって。
奇形だったりとか見世物小屋になったりとか、定職を持たない人とか。
そういう人が階級もないっていうか、士農工商とか、乞食の人とか。
その中でも風来坊みたいな人の話なのかな、そういう人が社会にどこにも属さない人がいるからこそ、社会の風が回るっていうか、偉いお殿様とも話せるし、乞食とも話せるような人が、定職を持たずに日本中歩き回るからこそ、情報が伝達されたりとか。
だから、みんながみんな普通である必要って本当は全然なくて、それぞれに実は、広く見た時に社会にとって有益なことがあるっていうようなことを研究されてる人がいて、それを今で言うと、自閉症だったりアスペルガーの人だったり。

だから、スティーブ・ジョブスとかも今言われてるけど、そういう人たちの病気持ってる人全員が天才じゃないけど、天才のほとんどがそういう人たちだからこそ、病気を持ってるとか、ちょっと人と違うことで普通にしようっていう教育が今日本では多いけれども、もうアメリカだと全然天才育てましょうみたいに変わってるっていうか、その人の得意なことで。

だから、さっきみきちゃんとも向かい合って話す?横で話す?って言った時、みきちゃんが横の方がリラックスできるって言ったら、それが1番の大事なポイントで。
別に目を合わせて話さなくても良くて、お互い視線あっち向いてても、その人のポテンシャルが最大に発揮できるのであれば、それが本当の広く大きな意味で見ると有益なことであるっていう、そういう研究されてる人がいて面白いなと思って。

日本だと普通にしましょう、訓練してみんなと同じことができるようにしましょうって、もう全然考え方が違うから、そこはちょっともうどんどん変えていくべきだなと思って。

みき

私が行ってる産婦人科の先生が、例えば発達障害の人っていろんなところにパーっと走っていってしまうけれども、たまにすんごくいい宝物を持って帰ってくるって言っていて、なんかそれは私も自分を肯定してもらった感じがすごくして、嬉しかったんだけれども、本当そうで。

ちか

本当、そう。
そこ行っちゃいけないっていう方がすごい良くないんだよ、本当は。
他の人と一緒に椅子に座ってずっと授業聞いてましょうなんて、すごいもうナンセンスな時代で。
洞窟のケイブマンとか、洞窟の人がどうして外に出れたかって、突拍子もない人がいたからこそ領域が広がってったんだよね、ここまで行っていいんだとか。
だからこそ人は洞窟から出て生活したみたいな話、この前面白い話をそういえば聞いたなと思って。

みき

いや、面白い。

障害者も健常者も、一緒により良い社会を作っていこう

みき

私の中で自分はすごく障害があるから、健常と言われる人たちに分かって分かってってなってしまうこともあるけど、私は健常な人にも歩み寄らなきゃいけないっていう風にもすごく思っていて。
それは私たち障害者の間でよく健常者理解とかいう言葉もあるぐらい、障害を持つ人の間では浸透しつつある概念なんだけれども、自分は障害者だから分かってよとか、自分はこういう病気だから仕方ないじゃんって言うだけじゃなくて。
例えば、会社に属しているなら会社を一緒に良くしていこうとか、ここは譲れない、ここは支援してほしいっていうところをちゃんと伝えるとか。

普通ではなくてもいいけれど、健常者と同じスタンスでいるっていうことは、障害者の人にも求められることなのかもしれないとは思っていて。
それは、例えば障害者の人たちが自分を殺してまでとか、自分の心をなくしてまでっていうことではなくて、一緒により良い社会を作っていこうっていうスタンスが、みんなに平等にないと社会は良くなっていかないと思っていて。

ちか

今、世界中で戦争起こってるじゃない。
それも1つすごい大きな鍵かもね。

文化とかがそもそも違う、歴史とかも違う、背景とかも違うもの同士が喧嘩し合うんじゃなくて、そもそも違うんだから、一緒にどうやったらいい社会にしていくかっていうの、本当にそこで区別とか差別とかせずに、一緒に考えてくってことを多分世界中でやらないと、戦争ってずっと憎しみあって、違うっていう分断しか生まれないっていうか。
それ、すごい平和な鍵かもしれない、その考え方。

みき

障害者だから何もしなくていいわけではないと思って。
だから、それは自分の中の課題でもあると思ってるし、健常者と呼ばれる人たちがより良く障害を持つ人たちと関われるために、障害者としてできることはなんだろうって、そういうことを日々考えています。

ちか

だから、結局同じなんだよね。

みき

本当に同じで同じ世界線で生きているから、お互いを認め合うじゃないけど、だから私、多様性のゴールってどこなんだろうって考えた時に、結局みんなが多様性って何?って考えなくて済むのが多様性のゴールと思ってて。
すごく先の未来のことのように感じるけど、実現させよう実現させようって思っているうちは、多様性は実現しないと思っていて。

お互いがちょっと知りたい気持ちを持とうとか、今、障害者と呼ばれる人が健常の人に寄り添うとか、健常の人が障害を持つ人に寄り添うとか。
寄り添い合うっていうことが、そういうことが自然にできた時が、多様性とか、障害者とか健常者っていう概念っていう言葉がなくなった時に、社会がフラットになるのかなっていうことはすごく思う。

ちか

私の元上司が「誰もが当事者である」って言ったのよ。
なんかその言葉、すごくいいなと思ってて。

みき

いい!

ちか

いいよねえ。
天才なのよ、私の元上司(笑)。

みき

すごくいい。
みんな困り事ってそれぞれあるしね。
みんな隠さなくていいような、困ってるっていうこととかヘルプを自然に出せたらね。
何か言葉あるよね、相互扶助?お互い様?

ちか

お互い様だよね。ほんと、お互い様。

みき

うん、助け合うっていう、本当にそうだなっていう風に私は思って。
だから自分が障害を持つ人間としてできることを、今、自分のステップアップもしながら、アップデートもしながら、社会に対して何か貢献できることが、障害を持つ人間としてあればいいなっていう風に常々思っています。

ちか

お若いのに〜!

いつでも講演会呼んでください

ちか

ラジオ聞いてる方で、講演とかお話に来ませんか?っていう人、いませんかね?

みき

私、全然、喋るので。

ちか

上手だしね。

みき

いや、本当、伝えたいです。
当事者から言葉を発さないと伝わらないことってやっぱりあるから。
みんなに車椅子乗ってみてほしい!1回。
車椅子乗ってスロープ上がってみたりしてみてほしいなって。
結構スロープ上がるのも意外と大変なんだとか、そういうことも知ってほしいなって思うし、障害者目線で伝えられることを、これからもみんなと交流していく中で、お話とかしていく中で、伝えられたらいいなっていう風に私は思ってます。

ちか

私がそうなんだけど、みきちゃんと出会ったからこそこういう今日があるっていうか、みきちゃんがこうやって発してるからこそ。
で、リビセンっていう みきちゃんの舞台、ステージがあるじゃない。
やっぱり、どんどん前に出てほしいなと思います。

みき

うれしい。前に出たい。
前に行きたい、行ってみたい。

ちか

ラジオ聞いてる人でピンと来て、ちょっとそんな波紋があるといいな。

みき

お願いします。

ちか

みきちゃんの今後のお知らせとかある?展示とか?

みき

まだ色々は決まってないんですけど、2024年は、展示が1つはできたらいいなっていう風に思っておりまして。
あと、2024年もいつでも講演会呼んでください。

ちか

お願いします!!!

みき

講演会とか交流会とか、もし興味ある方いましたら。
私、結構、長野県内とかだったら自分で行けるので。

ちか

そう、みきちゃん、運転するんです。

みき

うん、運転するんです。
だけど、結構遠くまで行くのは電車に乗らなきゃいけなくて、特急とか乗るのに車椅子だと、結構前から予約とかしなきゃいけなかったり結構大変なので、ちょっと最初は県内とか隣県とかだったら嬉しいなって思います。
でも東京も行けなくはないので、ぜひ。

ちか

お仕事、ぜひご依頼ください。
Instagramがあるんだよね。
みきちゃんとコンタクト取りたい時はインスタで。

みき

はい、インスタで。
ありがとうございます。

ちか

ありがとう。

障害がある人が、もっと社会に自然に溶け込めるようになればいいな

ちか

なんか質問とかある?なんか話したかったこととか。

みき

話したかったこと?
結構もう話し切っちゃったかな。

ちか

話せた?
私への質問なんかありますか?

みき

障害者と関わる時に、なんて言うんだろう、言葉にうまくできないんだけど、障害者の人と関わる時にどういう風に関わっていいか分からないみたいな、困った経験ってありますか?

ちか

重度にもよるよね。
質問に答えられてるのとちょっとずれるんだけれども、私が初めて障害者っていう人と触れ合ったのが小学1年生の時に、すごい重度のもうほとんど寝たきりの人のところに訪問に行ったことがあるの。
その時、なんかもうずっと私、泣いちゃってて。

みき

あぁ、そうなんだ〜。

ちか

人間ってなんだろうとか、よく分からない体験で、身体障害者っていう方たちに。
歌を歌いに行ったのかな、小学生のみんなで。
その時に、どうしていいか分からなかった。

みき

あぁ、そうか、なるほどね。

ちか

だからその時に、やっぱりさっき言ってたのそうかも。
この方たちはこういうって、ちょっと説明とかしてほしかったかも。

みき

ポーンとやっぱ入れられちゃうとね。

ちか

そうそうそう。 知的っていうのと身体っていうのと、色々あるじゃない。
だからやっぱり、そういう話って結構大事かもしれないね。

みき

身体とか、精神、知的とか、私、分けなくてもいいって本当に思ってるんだけれども、確かに説明がないと分からないっていうことは怖いって話に戻ってしまうけど。

ちか

あと、重度にもよるから、私が行ったところは結構大変な、もう自分で歩行もほぼできないみたいな人たちがほとんどだったから、ずっと唸ってたりとか、うーうーって同い年ぐらいの子供とか、初めて見てびっくりするっていうのはあるのかもしれない。

私がすごく好きな絵本で「さっちゃんのまほうのて」っていう絵本があって、それがうまく子供に理解をしてもらう結構いい絵本だなと思ってて。
お母さんのお腹の中で怪我をしてしまって、その理由はまだ誰にも分からないんだよっていうセリフがあるんだけど、あの絵本は秀逸だなと思う。
そういう表現の仕方っていうか、健常者と障害がある子をうまいこと日常で結びつけていて、親と先生が関わってるとか。

みき

障害がある人が、もっと社会に自然に溶け込めるようになればいいなって。
その絵本、私も知ってるんだけれど、いい繋ぎ目の役割をしてくれる本だなってすごく思って。

ちか

ちゃんと子供の乱暴さでもあり、純粋さでもあり、さっちゃんは指がないんだけど「指のないお母さんとままごとはしない」って言われて、さっちゃんはびっくりするんだよね、ある日。
でもその周りの子供の率直なこともあらわにしてるっていうのも、すごくいいなとも思うし。
なかなか、ああいうことをもっと公に広げていくっていうのは結構大事で。

ごめんね、質問が答えられてないんだけれども。
だからやっぱり戸惑う時に、うわって感情的になっちゃうっていうのはあると思うのね、私の幼少期の頃みたいに。
だからこそ自然に、ちっちゃい頃から伝えるっていうのが結構大事だなと思う。
その伝え方とか、やっぱりすごく大事だなと思って。

みき

そうね、私の友達の子供とかも結構車椅子押してくれたりとか、もう自然に馴染んでるから、私が。
そういう子たちが地道にでも自然に増えていってくれたらいいなと思うし、そういう障害を持った子たちがキーマンになってくれたら、きっとより良い社会になっていくだろうなっていう風に、今ちかちゃんの話を聞いてて思いました。

ちか

障害にもいろいろあって、障害者が家族に暴力振るうとか、そういう問題とかも逆に最近あることも知ったりして、色々なその中でも問題を抱えてるからこそ、やっぱり他者が理解するとか、ものすごく必要なんだなと思う。

みき

そうですね。

ちか

いや、まだまだ話したいけど。

みき

ほんと足りない!

ちか

またぜひお願いします。

みき

はい、もうぜひ。

ちか

なんかまだみきちゃんから引き出せてない気がするんだけど、またよろしくお願いします。

みき

こちらこそ。

ちか

今日のゲストはいとうみきちゃんでした。

みき

ありがとうございます。

ちか

ありがとうございました。

いとう みき

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みきちゃんをどうぞよろしくお願いします!!!

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