vol.22 宮脇綾子さんの展示に感動しすぎて話したい! with 金森香さん
2025年04月15日
金森 香さんと ひがしが熱く語り合った今回。
展示は2025年1月25日から3月16日まで東京のステーションギャラリーで開催され、大きな反響を呼びました。
金森さんは、この展示が「これこそ生活芸術」なので、絶対にちかちゃん見た方がいい!というそんな経緯から、展示会場の雰囲気や来場者の熱気、宮脇さんの「創作アップリケ」という新しい表現方法を感じたままにつらつらと、そして宮脇綾子の作品や生涯についてさらに深く掘り下げ、語り合いました。
特に印象的な作品としてコーヒーフィルターで作られたスルメの作品や、1万個の干し柿やイワシのモチーフを使った見本帳のような作品!
二人で宮脇さんの作品に込められた生活への眼差しや、戦後の時代背景、素材への敬意について深く考察し、現代の便利な生活の中で失われつつある工夫や創造性についても展開しました。

話したくてたまらないことがあるんです!

こんにちは。
今日は私は末っ子の卒園式とかがあったりして、お庭にはフキノトウも出て春満開という3月の末の方なんですけど、今日ラジオでとっても話したいことがあってお呼びした方がいます。
金森 香(かなもり・かお)さん!
自己紹介をお願いできますでしょうか。

金森 香と申します。
今までいろんなことをやってきたんですけど、催し物を企画したり、あとワークショップとかそういったことを企画することが多いんですけど、分野としてはパフォーミングアーツだったりファッションだったり、手作りで何かもの作りすることだったりその辺りのことやってるんだけども。
劇場とか人の身体みたいなことにずっと興味があって、それを掘り下げているうちにファッションやったり、舞台芸術に何かちょっとなんか関わったりしながら、今までずっと何だかんだ生きてきているものですね。
今日呼んでくれたちかちゃんとは長いおつきあいで、公私ともにお世話になりまくってるんですけど。

本当にそうなんですよね!20年ぐらい経ってますよね。

かな〜、あんまり数えてないけれどそうかもしれない。
それで今日の本題です!

そう〜、とっても話したくてたまらないんですよね、私たち(笑)。
今日お話したいことは、宮脇 綾子(みやわき・あやこ)さんという人のお話なんですけれども、アップリケ作家、あとエッセイストとか文章も書いてらっしゃいますよね。
その方の展示「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」が、今年2025年1月25日(土) – 3月16日(日)まで東京ステーションギャラリーで開催されていました。
それで展示をある日見た香さんからLINEが来て、「ちかちゃんは絶対見た方がいい!」という連絡が来て「了解です!」みたいな感じで(笑)。

ね(笑)、最初一緒に見に行こうとしてたんだよね。
でもうまくもう時間が足りなくなっちゃって行けなくなって、私は別なお友達と見に行ったんだけど、もうこれはもうちかちゃん絶対見なきゃ駄目だ!と思って。

まずそこでキーワードに挙げてくださったのが、「これこそ生活芸術じゃない!?」って香さんが言っていて、香さんはどうしてそこの展示を見に行きたいと思ったんですか?

本当に普通に単純に展覧会の情報を見て、いくつかの写真を見て、これはちかちゃんと行ったら楽しそうだな〜なんて思ってたんだけども。
もう行ってみたら、、、もう展覧会が素晴らしくて!
もちろん現物を見れる素晴らしさっていうのもあってそれが第一にありつつ、あの展覧会の会場の雰囲気も、私の行った日からそうだったのかちょっとそうじゃないのか、今日まさにその辺りも確認したくて。

そうですよね!そこら辺もすごいいいですよね。
おもしろそう!話したい!

ささやかな素晴らしい日々のチャーミングなところを語っていい空間

女子の熱気がすごくて、なんかもう!私もここにジョイン!みたいな気持ちで、なんかもうすごい。。

ちょっとご存知ない方のために、アップリケってなんだっていうところをちょっとあらためて私も簡単に調べてみましたら、日本ではもう680年前・鎌倉時代には存在していたそうなんですよね。
アップリケの歴史はエジプトの頃から、洋服の補強とかのために存在していたらしいです。
宮脇さんの特筆すべきところは「創作アップリケ作家」と巷では言われてるらしく、従来は型紙で型を取ったりするものを、自由に裁断したりそういうところがものすごく評価というか新しさがあったそうです。
宮脇綾子さんは、1905年生まれで1995年にお亡くなりになられている方です。
彼女の生涯をたどるのもものすごくロマンチックでそこのお話もしたいんですけれども、まず香さんが一番ドキッとしたところとかありますか?

いやあ〜、そんなことをいきなり聞かれると。えぇ〜!うーん。。。

作品でもいいです。
この作品やばかったなっていうの。

もう全部だよ〜!
すごくない?一個一個、はぁ〜♡はぁ〜♡って立ち止まって、もうなんか喋らずにはいられない!
「このトマトのこの端っこ、ここはこうなってるよね」「でも本当にこんなところにこんなふうにこんな糸をこうしておいて、こう縫い付けてるなんて〜〜!!!♡」みたいなことを、一個一個もう喋りたくなるような。
同世代の子育て中の親戚なんだけどママ友みたいな人と行ったんだけど、この目線、この視点でこの感動を共有できるよね!っていう人が隣にいるから、もう喋りたくてしょうがない。
それで後ろは後ろでまた別なおばあさんとおばあさんのお友達とが、「あら、まあ〜♡」とか言ってるから、「ですよね〜!♡」とかって言って!
なんかとにかく今まで、別に自分はすごく自分として感動していたささやかな素晴らしい日々の果物やお野菜や花や、そういった生活に肉薄して私達が享受しているいろいろな自然のものたちの、すごく美しいところ、チャーミングなところ、独特なところみたいなのが、展覧会みたいな形式で共有したことがあんまりなかった気がして。
一緒に料理してたら「これかわいいよね」とか、別な現場ではいろいろあったかもしれないけど、こんなふうにそれに集中して語っていい空間が用意されたことが、よく考えたらなかった気がして。
そのことで私もすごい興奮してたし、周りの女性たちもすごく興奮冷めやらぬ感じのずっとテンション高い状態で。
身の回りにあったであろう素材の美しさに感動した

だから一個この作品が良かったとかそういうのももちろんあるんだけど、でも何か総体としてあの場がすごかったっていう感じが私はあります。
でもきっとちかちゃんにはちかちゃんの視点があるだろうから、それを今日は聞きたいわけです。

もうめっちゃ話したいですよね、本当(笑)。何から話そう。。
私は1個作品を挙げるなら、もうやっぱりスルメ…。

スルメ?スルメ、いっぱいあったじゃない?

スルメの作品もいっぱいあって、それがコーヒーフィルターで作られてるんです。
昔のネル素材のやつですよね。それをひっくり返して(逆さまにして)。
いやあ、もうなんか本当この人、ちょっと言葉が雑なんですけど、やばいな〜!と思って。

一個一個の違いがね。
コーヒーフィルターのコーヒーの染み出した色の染み出し加減によって、イカの個別性みたいなものが表現されてるっていうか、すごいよね。

あとストーブの芯を使われてたりとか。
最初、いろんな面が一同に刺さってくるんですよね、見てて。
よ〜く見ると、すごい美しい布(きれ)。
私はその布(きれ)のこともすごいお話したくて、古布、古ぎれとか。
もう日本の産地が少なくなっているような銘仙(めいせん)とか型染めだったり、藍染めはもちろんありますけど、紬(つむぎ)とか絣(かすり)とか、多分大事に取ってたんですよね、昔の人は本当に。
その辺の生地の美しさと贅沢さっていうのが、多分ご本人も身の回りにあったものでやられてるから、そこはそのときはそこまで意識してなかったと思うんですよね。
でももうこの今となったら、貴重なものばっかりで作られてるんですよね。

そうなんだね。

そこに、ものすごい感動して!
江戸小紋って作りもすごい大変な鮫小紋とかあるんですけど、そういうのとか本当にもう大変なんですよ。
着物を作るとしても、生地の絹糸とかコットンとか全部その素材からしても。
そこの見どころも、めちゃくちゃ感動しました!
本当に尊敬している気持ちで「狂っている」っていう言葉を使いたい

最後の方の展示に、見本帳?っていうつもりでお作りになったんじゃないかもしれないけど、干し柿の形とお魚さんの形であらゆる布をちっちゃく切った、見本帳のような物を作っていらっしゃって。

そう!あそこ…!

その希少性をどういうふうに捉えてらっしゃったか分からないけど、とにかくあれに表れてるよね。
全てを記憶していきたいみたいな思いとか、ちょっとあられただろうなと。

私、そこの部屋に入ったときにすごい声が出ちゃったんですよ!
「うわ〜」って言っちゃったんですよ。自分でもびっくりしたの。
視聴者の方は分からない方がいると思うので、最後の方のお部屋の一つに小さな干し柿とイワシですかね、お魚が本当に小さい形で見本帳のようにとんでもない数がノートになっていたり、あと屏風になっていたり、干し柿っていうモチーフはお好きだったんですよね。

1万ずつあったらしいですよ。

1万ですか!!!

うん、1万点。

私もものを作ってる身として、やっぱり数の凄さっていうのとか細かさ、そこの集大することによって何か心が刺激されるようなこともあるんだけれども。
ちょっと狂っているなっていうのは、また失礼な言い方なんですけど、本当に尊敬している気持ちで「狂っている」っていう言葉を使いたいんですけど。
これってできる…?って。
できるかできないかでやろうと思えばやれるんだけど、そのやるパワーはどこにあるんだろう?というのをすごい考えて。
その時に思ったのが、狂わせたのは何だろう?と思ったんですよ。
彼女をここまで動かしたものは。
「戦争が終わって、防空壕に出たり入ったりする時間がなくなったから、何かしたいと思った」

生誕120年なんですよね。生きていたら120歳ってことですよね。
彼女の歴史、年齢とかをたどってると、40歳ぐらいで戦争が起きて。
私いま43歳なんですけど、このときにあの日本とか世界を経験してるっていうところで、やっぱ大事な人をいっぱい失って、そこで1000人針とかも想像したし、やっぱり気が狂うほど何かに集中したかったんじゃないかな、とか。夫に先立たれたりとか。
だから戦前の日本も知ってて戦中の日本も知ってて戦後も知っている中で、狂わずにはいられないような何かすごく大きなものに突き動かされているのか。
またはそのアップリケっていう中で、安らぎが彼女の心を保てる世界があったんじゃないか?とか、、、もういろんなことを想像してぐ〜っときちゃって。
そこら辺がもう、長野に帰ってからもしみじみいろんな角度で振り返ってました。
びっしり!ですよね。

さっき、ちかちゃんに教えてもらった宮脇綾子さんの動画。

YouTubeがあったんですよ、生前の動いてる宮脇綾子さんが見れますよ!皆さん!

それで40歳ぐらいの時に終戦っていうお話をお喋りしてらっしゃって。
やっぱ日々の生活の眼差しじゃない?
この宮脇さんの作品の中心になるものって。
例えば、聞いてらっしゃる方々に分かりやすく伝えるんだとすると、玉ねぎを半分に切ってしばらく置くと芽が出てきたりするけど、その断面っていうかその様子を貼り絵とかアップリケにしたものとか。
『さしみを取ったあとのかれい』っていうタイトルのアップリケがあったけど、お刺身は食べたんだろうね。
取った後の骨だけになったカレイをアップリケ作品にしてるものとか、それで何個もあるんだよね。『さしみを取ったあとのかれい』ていうのが。
そういうのとかやっぱ戦争中はいろいろな食べ物も少なかったであろう中、戦争が終わって終戦でいろいろ大変なこともあっただろうけど、日々の暮らしってのが戻ってきたっていうことに、感動の値がものすごかったんだろうな〜って。
展覧会を見てるときはちょっとそこまで、戦争の時代との関連性でちょっと見てなかったんだけど、後であの動画を見てそういうところもあったんだなって。
いま何が突き動かしたんだろうってちかちゃんの話とともに、そんなこと思ったよ。

そのYouTubeの中で、「戦争が終わって、防空壕に出たり入ったりする時間がなくなったから、何かしたいと思った」っていう、、、
今そういう動機で作品を作ろうとか、、その強さとかポジティブさとか…。
やっぱり「女の人は雑用ばっかりだったんです」ってそのインタビューで答えていらして、そのとき思いついたのが、アップリケ!っていうそこも含めて、いろんなところでグッときますね。

本当ですよね〜。
ちかちゃん絶対キュンキュンだろうと思った(笑)

あと、スケッチもあったじゃないですか?展示で。

あの日記、素晴らしかったですよね。

素晴らしかったです。
スケッチが、アップリケのためのスケッチだなと思ったんですよね。
すごく平面で、奥行きっていうよりも本当にアップリケのためのスケッチ。
頭の中でもアップリケが組み合わさっているんだろうなって思うような線の描き方とか、勝手にですけど想像したりして、それもすごく素敵だなと思って。

はりえ日記も本になってるみたいで、あれ読んでみたいなと思って。

私も読んでないです、まだ。

あれに書いてある文章も、本当にいちいち全部素敵で。

ちょっと私メモをしてなかったんですけど、すごく私が日ごろ気に留めていることと同じような重なる部分があって。
「ものを作るときにまず見る」って書いてあって。
「お野菜をとにかくよく見てみると、そこからの膨らみの発見がある」みたいなことが書いてあったような展示のテキストがあって。
そうそう!それそれ!ってうなずいたりとか、その小さな世界に大きな宝物が入っているっていうところとか、もうキュンキュンでした。

キュンキュンでしょうね〜(笑)
だから、ちかちゃん絶対キュンキュンだろうと思ったけど、よかった!見てもらって。
私、この情報見てだか展覧会を見てだかどちらかはちょっと忘れちゃったけど、ちかちゃんの傘屋時代の水茄子のテキスタイルあったでしょう?

水茄子の傘ありましたね〜!

もうあのこととかすごい思い出して。
ちかちゃんも、どういう視点であのテキスタイルを作ったのか知らないけど、なんか日々の生活の、あと野菜のプリントもあったよね。レンコンとか。
あれ思い出したりして、そんな気持ちで作ってたのかな?とか思ってたんだよね。

まさに、そうなんですよね。
スーパーで水茄子のお漬物見て、すごい色がとにかくきれい!と思って、もうこれを傘で持ちたいって思って。
なんかすごい単純な、すごいメッセージがあるとかじゃなくて、ただ本当に美しい!きれい!これを傘にして持てたら〜とか、そんな感じなんです。

そこにあるその布の輝きをそのまま生かすみたいな

あのサインも素敵じゃなかったですか?
『あ』って書いてあって。
あれ私最初ちょっと、何でこんな唐突に『あ』って書いてあるんだろうと思って、10秒後ぐらいに綾子の『あ』だ!って思って(笑)。
あれが大胆さと自由さと、すごい意外なところにサインがあったり。

なんかちょっとユーモアのセンスを感じてしまう入れ方だなって思って。

そう!楽しげな。
タコのおてての先っちょにあったりしたような、こんなところにサインにするんだ〜!っていうような感じの場所にあったり。
ちょっと見てる人が口角が上がる感じの優しい気持ちになるような微笑むような、全体の空気もそのサインから受けれたり。

あらためて私いま、手元にその図録を開いてるんですけど。
レースの使い方って、めちゃくそかわいいでしょ!あ、くそとかいっちゃった(笑)

あのかぼちゃのワタにしてたりとかね!

そう!かぼちゃもあったわね。
冬瓜のワタとか、ネギのねぎぼうずの中とか。

あのネギの根っこの部分とかすごいですよね。
糸の1本1本がその繊維に見えてくる。

そうそうそう!
糸の自由さを生かして、それを根っこにしてるみたいな。
糸そのものを縫い止めてるような感じの作品もあったりして。
布とか糸とかも、素材の持ってる生き生きしてるところを出しきってらっしゃるのよね。

確かに!

何かを表現するために使うというより、その布がそこにあるその布の輝きをそのまま生かすみたいなところもあるから、すごいのよね。
お野菜の素敵さと合わさって。

YouTubeでもおっしゃってませんでした?
「私を使って!って布が言うの〜」みたいな。

言ってた〜!そうやって紡げるんでしょうね。

だからきっと素材と対話してたんでしょうね、すごく。
あとちょっとおもしろおかしく言うと、現代だと「おかんアート」とか、でもその奥深さすごいじゃないですか。
主婦の手芸の力、パッチワークとか伝統細工とか。
何か新しいカテゴリーを、もう宮脇綾子さんは既に芸術の域まで持ってってたみたいなことが最後の方に書いてあって。
最終的にアップリケを、日本のくしをただ布に縫い留めてる作品がありましたでしょう?

そうね、あったね。

その解説がすごくおもしろくって、ちょっと私もうろ覚えなんですけど。
「マルセル・デュシャンがレディメイドを展示したとは言いすぎるかもしれないけれども、既にあるものの道具をここまで展示する宮脇綾子さんは、現代美術に近いものがあるのではないか」みたいな。
それすごいおもしろい見方!ってまた思ったりして。

これまでの美術があまりに非生活的だった

本当にいかに多くのこれまでのアートの作品っていうのが、男性/女性って言ってもいまジェンダー的にいろんなそこにも多様性があるから、男性/女性とかお母さん/お母さんでないとかちょっと区切れないところがあると思うけれども。
生活っていうものから、分断された表現っていうのが結構マジョリティ。
それは宗教画とかもそうだし。
生活は置いといての表現がすごく多かったんだな〜って、宮脇綾子さんの展示ですごい思わされた。
もちろん刺繍とか手芸とか趣味の手作りの何かとかっていうのは、昔もあったしこれからもあると思うんだけど。
そもそもの美術の文脈みたいなところの中心が、あまりに非生活的だったんだなっていうのを私は感じた次第です。
あんなに裸のお姉さんとかいっぱい描いてきた画家がいる中で、採りたての茄子のことを描いた人が少なすぎるみたいな。

もうめっちゃいいこと!
そこに男性性/女性性っていうかやっぱり男性社会があって、宮廷画家とか自分をかっこよく描いてくれとか、その誇張するために美術っていうものも使われたっていうか。
でも本当にすごく身近なところに小さな宝物とか美しいものがこんなにあるっていうのを、宮脇さんは自分の身近なところで…。
でも彼女はそれをまた意図してないんですよね、作ってるときはきっと。
でも旦那さんにだいぶ影響を受けたってのもおっしゃってましたね。

そうですね。

私、旦那さんが画家だったとかも知らずに、、宮脇 晴(みやわき・はる)さんですよね。
旦那さんの描いた絵のパレットを洗ったりとかお手伝いしてるときに、全ての色が混ざったときに茶色になるって言っておっしゃってましたね。
そういうところから茶色っていう枯葉の色とか、それもやっぱり見る力があるんだなと思って。
ただこれ洗っといて、はい洗いますじゃなくて。
彼女の感性の深さと見る視点と見る力が、とんでもなく大きな力が元々やっぱ備わってたっていうのは、やっぱりすごいんだなと思ったりして。

ほんとですね。
観察眼というか、本当にものを見て見抜く力みたいなのがすごくある方なんだなっていうのは感じますよね。
目の前にあるあらゆるものが、宮脇さんの手にかかると作品になっていくんだけど、でも重ね重ねですけど、その視点っていうのが多くの生活者が感じてたはずなのに、作品っていう形になってこなかった気がするんだけど。

優しさとか愛に溢れてるところが、もののない時代に捨てられないっていう気持ちの優しさとか、その辺の素材全てが素材に見えるとか。
それって愛情とかも感じますね、膨大な。
便利さと代償に人間の力を失ったんじゃないかな

ちかちゃんのおばあちゃんとかどういう人だったの?

別にうちは本当に普通の普通の感じです。
香さん家は結構芸術一家ですよね。

いやそんなでもなくて単にすごい、ものを捨てられなかった人だったなっていうのを思い出してて。
あらゆるリボンとか、あらゆる布とか、あらゆる袋とか。

確かにうちのおばあちゃん2人ともそうですね。
箱とか絶対捨てないですよね。

多分捨てられないんだろうね。
なかった時代があるからだと思うけど、本当にそう。
それで作品は作ってるような人ではなかったけれども、それを生活のいろんなときに役立てまくってて。

確かにそういう時代性もあったんでしょうね。

それこそ今は百均に行けば何でもあるとか、断捨離とかでもう、、

何かその便利性って何かをやっぱり奪ってますよね。
そう、もうひとつトピックに上げたかったのが工夫!
生活の工夫ですよね。
工夫の仕方がすごいなと思って。

ちかちゃんが着目した工夫ポイントは?

わざわざ百均とか手芸店に材料をまず買いに行って、よし作るぞ!とかっていう次元じゃないっていうか、次元って言ったら言葉がまた変なのかな、そこがそもそもないというか。
素材に対してすごく敬意があるというより、愛着?
欠けてるところに何かを生まれさせようとするっていうところは、本当に便利さと代償に結構人間の力を失ったんじゃないかなっていうのはすごく感じました。
やっぱり出来合いのものをお料理ひとつでも買ってきちゃうし。

目の前にある素材もだし、それはモチーフみたいな芽の生えてきちゃった玉ねぎとかそういうものもだし、目の前にある布や糸やコーヒーフィルターの使わなくなったやつとかもだし。
全てを愛でるっていうところから、本当にこの作品って生まれてきてるなって思うわけだけど。

ほんと、思うわけですよ!

そう!思うわけだよ〜。
私達が失ってはいけない何かがここにある!!!っていう行列だった

だけど、でも今だってそういう感覚はみんな持ち得るはずですよ。
おばあちゃん家の、取って置き加減がすごかったけどね。

すごいですよね!ケーキの結んでた紐とかね。

そうそうそう!あれには勝てないけど。

いつか何かに使うだろうと思って。
でもあるとき世の中がものの価値観というか、やっぱ安くてすぐ手に入るものがいっぱい氾濫したときに、それは断捨離という何かで持ってかれた。
いいのか悪いのか、、なんかありますよね。
だからこそあの長蛇の列は、その哀愁とか本当はこうだったよねっていうところの精神みたいなところが伝わったんじゃないかしら。
あの年代と女性っていうところと。

何か私達が失ってはいけない何かがここにある!!!っていう行列だったよね。

そこもあるんだけど、楽しげだし押し付けがましくないし、美しいとか感動する絵を見てるような潤いもいただけるし。 はぁ〜、いっぱい話をしたけど。

この展覧会、もう終わっちゃったんだよね。
こんなに熱く喋ってても観に行けないじゃない?

そうなの(笑)。
でも多分、ステーションギャラリーですごい過去最多数の入場者だったかもしれないと私はちょっと勝手に思って、なんかウェ〜ブが来てますよ、これは波が!

勝手に思って?(笑)

やっぱり『生活芸術』、これからすごい大事なポイントだって本当に思うんですよね。
あなたも生活芸術家で、私も生活芸術家

ちかちゃんの思う『生活芸術』はどんなですか?
YCAM(ワイカム)とかでやってることも含めて。

そうですね。
誰でも生活芸術家だって私は思っていて、「私は生活芸術家です」って恥ずかしかったんですけど言うようにしていて。
あなたも生活芸術家で、私もで。
とにかくそういうのを発見できる力がみんなに備わってるし、目の前にいっぱい美しい小さな宝物がもう散りばめられているよっていうのを、何となく自分で言い切っちゃうとつまらないから、言い切らないようにしてもっともっと広げていきたい。
どんどん実証していきたいっていうか、可能性がいっぱいあるなと思っていて。

生活っていうのを軸にすると、誰もが自分事としてテーマを持って来れるのかなと思った。

そうなんですよ。
今まで私もちょっとハッとしたことが、美術が好きできれいな絵とか美しい色彩とか彫刻とか見ると、もうすごく素敵!潤った!と思って自分の家に帰ってくる。
そこが別世界というか特別な空間、特別な場所であって欲しい、ありたい、そういうものを私もちょこっとでも作れるような携われるような人間に、豊かさを磨いていきたいと思っていたんですけれども。
実は目の前のお茶っぱとか朝の光とか、子供が目の前で泣いてるその感情の純粋さとか、そこのキラキラ度って純度が高すぎて!もう私だと手に負えないんですよね。
でも実はそこの感動したり心が動くことが特別な場所だけではなくて、本当に同じところにあるっていうのが多分、これから本当にやりたいって思う。

展覧会とか音楽会とかももちろん素敵だし、そこでしか味わえないものたくさんあると思うし、そこでの表現の素晴らしさっていうのに惹かれてきた人生ではあったし、これからもそうだとは思ってはいるけれども。
一方でやっぱり子供ができてからのそこに起こる奇跡の数々が眩すぎて、もう目が離せないん だよね。
もう今しかない!っていうのも思うし、これを目撃してるのは私しかいないっていうのもあったりするし。
展覧会は明日も明後日もあるかもしれないけど、この子の今のこの瞬間を同席してるの私しかいないとか、私も生きてるのも今しかないみたいな、いろいろな今しかないっていう感じと、初めて接する世界に対しての眼差しの輝きみたいなのは、本当に今しかないとか思っちゃって。
それは芸術とはまたちょっと違うかもしれないけど。

そこら辺が、曖昧さがありますよね。
そこに技術があったりするわけじゃないじゃないですか。研鑽を積んできたとか、努力とか。
でもその自然体の美しさとか、何か宇宙的っていうか。
真逆に言うと、そんな言うほどのことでもないんです〜っていうその日々の繰り返しなことなんだけど、本当に見方によってはやっぱ美しすぎて、それが普通すぎる。
でもそこは見て生きていくか、見ないで通り過ぎて効率だけ求めて便利さだけ求めてとかにしてると、本当に人類の何かを失ってしまうっていうか。

ちかちゃんは暮らし方も含めて、そういったことに目を向けるっていう決断をして生きている気がする。

いやいや決断をしたものの、、、全然自給自足してるわけでもないし。
みんな長野の山奥住んでるっていうとそういうふうなイメージをとってくださる方もいるんですけど、全然ですよ、もう迷いもあるし。

でも傘を作ってるときから、そういう視点をお持ちだったじゃない?
今でもさらにそこを極めようという段階なのかもしれないけど。

作風としてはコンセプチュアルに世の中に言いたいメッセージがあるからっていうよりは、本当に日々の美しいものを集めたいとか、そういう感情とか、集めて形にしたいっていうのはずっとありました。
女性の目線と芸術っていうものにちゃんと向き合ってみたい

もっと話聞きたいけど、、、でも誰かとこれを話したかったからすごく嬉しい(笑)

私もでござる〜。

ああいう公の場でいろんな人の目に触れたっていうことは、結構すごい良い出来事だったなって思って。
もうひと波、もうふた波、こんな感じでやってきたら素敵だなと、勉強したいなと思います。

もうちょっと宮脇さんについても知りたいし、女性の目線と芸術っていうものについても今一度ちゃんと向き合ってみたいなって思ったです。
あと、自分でもお野菜がかわいいって思ったら迷わず描こうと思います!
こんなちょっと時間が…とか、それより早く新鮮なうちに食べなきゃ…とか、もう思わないでいいやって!

いや、宮脇さんもそう思ってらしたんじゃないですか(笑)。
だから、お刺身の取った骨ですよ。
きっとそこにはもう、やっぱりお刺身はいま食べさせないと!家族に食べてもらわないと。
何か自分たちの私的な興奮ばっかりで、聞いてる方おもしろかったか分からないけれども、きっと何かこの熱は届くはずで、今日のゲストは、金森香さんでした!

おじゃましました〜。

ありがとうございました〜。

ご視聴ありがとうございました。
ご質問ご感想などもぜひ番組のホームページ内にあるフォームから入力できます。
また、番組運営の為の投げ銭箱をご用意しておりますので、運営費のご協力頂けたら大変助かります。
それからこのPodcastの手ぬぐいを作成しました。オンラインストアで販売しております。
配信から1週間限定のクーポンを差し上げております。
今回のクーポンコードは、宮脇綾子さんの作品のスルメと生誕120年にちなんで「SURUME120」にしています。
ぜひのぞいてみてください。
次のゲストは!
長野県茅野市にある天然酵母のパン屋さん「カルパ」の殿塚たつおさんです。
お楽しみに。
それでは、皆さま心も身体も健やかな日々を!
ごきげんよう。さようなら。
生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った
2025年1月25日(土) – 3月16日(日) ※終了
宮脇綾子(1905-1995)は身近なモノを対象に、布と紙で美しく親しみやすい作品を生み出しました。アプリケ、コラージュ、手芸などに分類されてきた彼女の作品は、しかしいずれの枠にも収まりきらない豊かな世界をつくり上げています。
モティーフにしたのは野菜や魚など、主婦として毎日目にしていたもの。それらを徹底的に観察し、時に割って断面をさらし、分解して構造を確かめる。たゆまぬ研究の果てに生み出された作品は、造形的に優れているだけでなく、高いデザイン性と繊細な色彩感覚に支えられ、いのちの輝きを見事に表現しています。
本展では、宮脇綾子をひとりの優れた造形作家として捉え、約150点の作品と資料を造形的な特徴に基づいて8章に分類・構成していきます。美術史のことばを使って分析することで、宮脇綾子の芸術に新たな光を当てようとする試みです。
(宮脇綾子『私の創作アップリケ 藍に魅せられて』より)
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金森 香(かなもり・かお)
出版社リトルモアを経て、2001年ファッションブランド「シアタープロダクツ」を設立し、2017年まで取締役。
2010年NPO法人DRIFTERS INTERNATIONALを設立し、芸術祭の企画運営・ファッションショー・出版企画などをプロデュースする。
2020年から株式会社precogでは、新規事業のバリアフリー型のオンライン劇場「THEATRE for ALL」や「まるっとみんなで映画祭」の立ち上げ、EPAD(緊急舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化支援事業とのバリアフリー映像制作・上映事業の企画に携わる。
最近のプロデュース作品としては、True Colors FASHION「対話する衣服」(ここのがっこう・河合宏樹)・落合陽一総合演出「多様性を未来に放つ ダイバーシティファッションショー」、AR三兄弟「バーチャル身体の祭典」などがある。女子美術大学「地域共創学」非常勤講師もつとめる。
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